初めまして。僕の名前は”けんてぃ”といいます。
大阪産まれ大阪育ち、今年36歳です。
今回は皆様に”けんてぃ”を少しでも知ってもらいたくて、自己紹介を書きました。
今の僕自身の「価値観」や「考え方」のルーツにもなる所を書いているので、良ければお付き合いください。
よろしくお願いします。
まず、本題に入る前に言いたい事は
”それでも諦めない” です。
今から書く内容を観て色んな感想を持つ方が居るかと思いますが、どんなことがあっても諦めないのが「僕」です。
諦めることが”悪い”と言っているのではありません。
実際、僕も諦めざるをえない”問題”や”場面”に直面したことだってあります。(本文の中に書いています。)
生きている限り、諦めないといけないことが ”絶対にある” と言うことを理解したから「それでも諦めない」と自分に言い聞かせています。
理由は ”答え、方法は1つじゃないから” です。
読んでもらうことで、僕と似たような境遇の方にも元気を出してもらえたら嬉しいです。
では、始めます。
(全部書くとめちゃくちゃ長いので、所々飛ばしてます)
目次
1987年 ”けんてぃ”大阪に爆誕。
子供の頃や思春期のことを書いても、あまり面白くもないのではぶきます。
まとめるといわゆる”クソガキ”で、両親にめちゃくちゃ迷惑もかけました。
そんな僕に何も言わず受け止め、ずっと守ってくれた両親には頭が上がりません。
中学卒業後就職~現在も同じ会社で働いてます。(最終学歴中卒、今年20年目です)
仕事内容はバネ(スプリング)の製造・加工業です。
国家資格、金属ばね製造技能士2級(線ばね)所持。
結婚する相手とお付き合いが始まるまではどこにでもいるチャラ男でした。
2016年 結婚。
3年お付き合いした相手と結婚。
ここから、今の僕につながる分岐点となる出来事がいっぱい始まります。
結婚したおかげで、良いことも悪いこともある ”貴重な経験” が出来ました。
結婚を経験して知ったことは「家族を守る責任感」「家族の大切さ」を知りました。
知った中で「結婚しても他人は他人で、お互い尊重できないと続かない」ということも学びました。
特に子供の誕生は当時の僕にとって、これからの生きる指針になりました。
2017年 祝けんてぃ”娘”が生誕。
僕の結婚人生の中で、この時が結婚して ”本当に良かった” と思う出来事の1つです。
マジで「えっ、天使出てきた?」と思いました。
「この子を自分の命に代えても守る」本当にそう思いました。
今は離婚して元結婚相手と絶縁状態なので、もう会えないかもしれないけど僕にとって
ずっと大切で愛おしい僕の大切な娘で、その思いはこれからも変わりません。
2019年 結婚生活から一変して離婚騒動。
ここからが僕の今までの人生で ”最大の出来事” が起こります。
登場人物 [けんてぃ(洗脳サレ男)、元嫁(空気)、元嫁の母親(究極の自己中、鬼畜、洗脳家)]
離婚原因はまとめて言えば、性格の不一致です。
双方に問題があったと今は理解していますが、当時はそう思えませんでした。
理由は、元嫁の母親に洗脳(診断書あり)されていたからです。
”全ての責任は僕にある” と元嫁の母親に植え付けられていたからです。
当時、僕は約6年(お付き合いの時から)の長い時間をかけて洗脳されていたので、元嫁の母親が言うことが”全て正しい”と錯覚していました。
普段から夫婦間に問題があれば元嫁の母親が出てきて、長い時は2日3日連続で夜通し怒られていました。
そんな日常の中で僕は普段から委縮してしまい、
夫婦の離婚問題をふくむ話し合いや、その他すべてを元嫁の母親に主導権をにぎられて言いわれるがまま、
借金約500万円を背負うことになりました。
借金内容は 娘の養育費5年分前払い300万、元嫁に慰謝料100万、僕の使い込み?等の返金100万です。
今ならわかりますが慰謝料を請求されることも、もちろん使い込みもしてません。
当時の給料(本業24万+居酒屋アルバイト2~3万+夜勤工事1回1.5万×数日)は全部渡していたし、
僕はお小遣い制(1.5~2万)で、クレジットカード類は元嫁に渡していたので使い込むことはできません。
でも当時の僕は、それが当たり前で当然の報いだと思っていました。
「お母さんの言うことを聞いていれば、真人間になれる。
お母さんの言うことを聞いていれば、娘に会わせて貰える。
お母さんが言うことに間違いはない。」
本当にそう思っていました。
離婚後~借金返済のために新たに夜勤バイトを始める。
今も返済があるのでWワークで働いていますが(※R4年10月借金完済 同年12月Wワーク退職。)
離婚当初、本当にお金が無くて生活費と返済のために本業をこなしながら週5日、夜勤で働きました。
支払いをしながらある程度の生活を整えるために、睡眠時間1日1時間あるかないかを約5カ月間ぶっ通しでやりました。
その経験のおかげで今は何かあっても「お金は何とでもなる」と思える様になりました。
そしてこの時、僕の状態を見た友人に強く勧められ受診した心療内科がキッカケで
”うつ病”と元嫁の母親からの”洗脳”を知りました。
※後にアルコール依存症も併発します。
心療内科の先生に診断された時、僕はまだ洗脳されたままなので先生に対して
「お母さんはそんな人じゃない!!そんな言い方やめて下さい!!」と怒ったのを覚えています。
洗脳って当人は本当に気付かないし、その人を否定しようとする人は皆敵に見えてしまうんです。
同年 調停開始。
心療内科の治療が進むなか、元嫁の母親のあまりのおかしさ(話し合いに一度も元嫁が来ない、元嫁の母親に事あるごとに金銭を要求される)
などに、少しづつ気づき始めた僕は心身ともに限界を感じ弁護士に頼ることにしました。
そして弁護士を入れた途端、相手の敵意が最大になりました。
「娘を虐待していた
娘が僕を思い出して夜泣きが酷い
元嫁に毎日暴言を吐くなどのDVをされていた
家事、育児を何もしなかった
遊びばかりでほったらかし等のモラハラ」
もっとひどい内容も調停中にさんざん色々言われました。調停員にも色々言われました。
「事実と違うことばかり言われる
誰にも信じてもらえない
娘にも会わせてもらえない」
そんな現実に耐えられず、毎日お酒に逃げるようになって”アルコール依存症”になりました。
”このまま死ねれば楽なのに”と思っていました。
娘と1年ぶりに会う
調停がコロナや元嫁側のふざけた言い分などで進展がないなか、調停員が少しづつ元嫁側の言い分のおかしさに気づき始めてくれ
やっとの思いで娘に会わせてもらえた時は調停開始から約1年の月日が経っていました。
やっとの思いで会うことが出来て、僕は嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
でも離婚当時2歳前で離れてしまった小さな娘の記憶から僕は消えていました。
しょうがない事とはいえ本当に悲しかった。
人が生きる上で本当に悲しいことは
「愛している人の”死”ではなく、愛している人の中から”消える”こと」をこの時知りました。
正直なところ、この時ほど人を恨んだ事はないです。
時間は心のキズも癒してくれる素晴らしいモノですが、その反面とても残酷でもあります。
「生きている限り、諦めないといけないことが ”絶対にある” 」はここで学びました。
「忘れた子供に罪はない。
なら忘れたままでもいいから娘にしてあげれることに最善をつくそう。
今の雇われの収入だけじゃ何かあったときに多く残してあげられない、
残すために自分で稼げるようになる。」
そう心に決めました。 それが今の僕のルーツです。
2020年 最高の相方”まゆちゃん”と出会う。
日々の溜まったイライラを発散する為に1人でカラオケに行った時に、
店員だった”まゆちゃん”と出会いました。
今思うと不思議ですが、仲良くなるまでそんなに時間はかかりませんでした。
そこからご飯に行ったり呑みに行ったりの数カ月を経て、お付き合いが始まりました。
あの時 ”まゆちゃん” と出会っていなかったら、僕はゆくゆく道を踏み外していたかもしれません。
本当にそう思います。
お付き合いスタート~”現在”
僕の全てを理解し受け入れ支えてくれた
”まゆちゃん”と色んなことを一緒に乗り超えながら
2人でこれからの未来の為に
ブログ「まゆけん=はぴねす×いんふぉ。」 「まゆけん=Darts×Quest」開設。
2人の最終目的を達成すべく日々、最善を模索しながら”今”を全力で生きてます。
こんな2人をこれからもよろしくお願いします。
おしまい。
最後まで読んで頂いた皆様方、本当にありがとうございました。
書いている内容は事実です。
細かいところはもっといっぱいありますが、
全部書くと途方もなく長くなるので終わらせて頂きます。
最後に一言
今、離婚問題で僕よりもっと辛い経験をしている方もいると思います。
ですが思い方は人それぞれ、僕にとってとても辛い経験でこんな思いは二度とごめんです。
ですが、この経験があったから「まゆちゃんとの今」を大切にする事が出来ます。
人生色んな事があるけど、全てがあったから今がある。
辛い事も良い事もすべてこれからのためにある。
だから「それでも諦めない」と”けんてぃ”は強く思います。
”娘の幸せ” ”まゆけんの幸せ” のために
「これから」を精一杯、最善を尽くしていきます。
ありがとうございました。